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ANSoft、想い出のマシンたち


 ANSoftが過去保有していたマシンたちについて、備忘録の意味も込めて、いろいろと綴ってみたいと思います。
 みなさんがお持ちの、またはお持ちであったパソコンはありますか? そういう方にとっては、懐かしい想い出の共有です。
想い出のマシンたち(入手順)

MZ-1200
メーカーSHARP
想い出記念すべき、ANSoft最初のPC。このマシンについては特に想い出深いので、語りだすと長いよ…(笑)
1984年3月10日。忘れもしない、小雨が降る、ちょっと寒い秋葉原。永田氏の母親が同行のもと、ツクモニューセンターで購入。中古で4万円だった。 同センターには他にも同じシャープの新機種MZ-700が並んでいたが、中学卒業祝いということで親が出資者であったため贅沢も言えず、また「枯れた機種のほうが安心」という潜在意識が働き、当初の予定通りMZ-1200が我が家にやってきた。
初めて読み込んだソフトは(クリーンコンピュータなのでテープで初めにOS等を読み込む必要がある)、BASICインタプリタ。シャープのロゴ(と言っても文字)が出たときには、3分以上感激してキーボードが打てなかった記憶がある。 友達が持っていたソフトを貰い受け、また雑誌に掲載されたリストを打ち込み、とにかくいろいろなテクニックを半年くらいで集中的に勉強した。モニタの見すぎで白いものが紫色に見えてしまうようになったほどだ(これは1日経つと直る)。
その半年後、MSXマシンを購入し、あまりのアーキテクチャの違いに驚いたが、20年たった今でも後継機種を所持し、エミュレータでソフトを遊びまくっている現状からもわかるとおり、このマシンは本当にいいマシンだった。この機種を最初に選んで間違いはなかったと思っている。
その後…1年半使った後、池袋にある中古PCの下取り交換屋さんで後継機種MZ-700に買い替えた。
HitBit HB-75(MSX)
メーカーSONY
想い出MZ-1200を購入後半年。永田氏は高校に入学し、コンピュータ部という部活動に参加した。部活の友達が平均2機種を所持していることを知り、「将来に活かす勉強をする」という約束で、またまた親に買ってもらった。
MZとは全然違うアーキテクチャ。グラフィック、音声周りも全く別世界。実に勉強のし甲斐のあるパソコンだった。 MSXは当時一番ホットなアーキテクチャで、市販の参考書籍も多く、非常に勉強がしやすい環境でもあった。 MZとMSXの間で、「移植」というテクニックも身につけることが出来た。
思えば、MSX-BASIC、BIOSは初めて触れる「MicrosoftのOS」であり、現在Windows、さらにはVBで使われている技術の大元である。現在、これを使いこなし、生業としている自分を考えると、親との約束は果たせたのかな、と思っている。
その後…2年使用し、友達に超安価で売却。後継として、MSX2を購入。
MZ-700(721)
メーカーSHARP
想い出MZ-1200を購入後1年半。MZ-1200はもはや「いじり倒した」という境地に達していた。MZ-1200を購入した日、MZ-1200の隣でひときわ輝いていた新機種MZ-700。当日は高くて購入意欲をそそるものがなかったが、そろそろ安くなっただろう、と言うことで調べてみると、下取り交換をしてくれる中古PC屋で非常に安く購入できることを知り、次の日にはこのMZ-721が我が家にすえつけられていた(笑)。
MZ-1200ではモノクロだった画像が8色カラーになっただけで、こうも違うのか!!という印象が強かった。BASICも多少洗練されたので、改めて勉強ができるのがとても嬉しかった記憶がある。MSX同様、学校(部活)にも持っていくことが出来る大きさなので、MZのアーキテクチャを部活のみんなに見せることが出来るのも、嬉しかった。 ANSoftの代表ゲームの一つ「Changer」が誕生したのもこの機種。そして、部活のみんなにそれが「面白い!」と認めてもらい、プログラミングに自信をもてたのもこの機種のおかげだと思う。
その後…使用はわずか半年。MZ-1200をこの機種に変えたのと同じ店でMZ-1500に交換購入。
MZ-1500(先代)
メーカーSHARP
想い出このころ(1986年)は、FM-77やPC-8801を持つ友達が増えていたが、いきなり新しいアーキテクチャのPCを導入するよりは、こういった機種で慣れておいたほうがいいだろうと言う変な理屈で導入。MZ1200、700と同じMZ80アーキテクチャとは思えない、洗練された機能にかなり驚いた記憶がある。
これまで作ってきた全部のソフトが、QD一枚に収まってしまったのにも驚いた。この機種には、フリーウエアでFM-7コンバータ、PC-8001コンバータなどもあり、結果としてPC88、FM7のアーキテクチャも少し勉強できた。
その後…PC-8801FRを購入する資金として中古PC屋に売却。その後別の店から買い戻したが故障のため廃棄。現在所持しているのは大学時代、友達から譲り受けた3代目のMZ-1500。
PC-1247(ポケコン)
メーカーSHARP
想い出高校時代に、関数電卓の変わりとして使ったポケコン。なんと1行、16文字表示と言う、ポケベル(懐)並みの表示能力。 なのに「Changer」を移植したり(今で言うカードバトル風にアレンジしたもの)、絵美子ちゃんゲームの初版を作成したり、ANSoftらしい「酷な使い方」をした想い出がある。
その後…失念。大学に入ってから友達にあげたような記憶がある。
HitBit HB-F5(MSX2)
メーカーSONY
想い出大学受験を控えて極度のストレス状態にある中、MSX2規格のパソコンが無性に欲しくなり、勉強名目で(またか)購入(と言っても親に買ってもらったのだが)(またか)。FDDを内蔵し、MSX-DOSを搭載していたため、多少OSの勉強ができた。また、ASCIIから出版されていた解析本も購入し、BIOSの勉強もかなりした。
その後…3年ほど使用した後、MSX2+を購入するに当たり高校時代の友達に安価で売却。
PC-8801
メーカーNEC
想い出高校の帰りに近くの中古パソコン屋を覗いたところ、なんと9000円で売っていたこの機種を発見。PC-88はすでにFR/MRという第3世代に入っていたが、初のNECアーキテクチャ機として導入することを決意し、高校卒業記念の名目で購入(これは自費)。大きくてうるさいFDD(5インチ、外付け)や、サウンドカードも装備したりして結構遊んだ。…と言ってもわずか半年。
その後…わずか半年使用し、おなじみの下取り交換屋さんでPC-88FRに交換。
PC-1360(ポケコン)
メーカーSHARP
想い出大学入学記念として、大学生協で購入。さすがにCOOPブランドは安かった。PC-1247が1行表示だったので、いきなりの4行表示には感動したものだ。
その後…PC-E500の購入にあたり、大学の後輩に譲渡。
PC-8801mkII FR
メーカーNEC
想い出大学に入り、マイコン愛好会という部活に参加。部活でいろいろな情報を集めたところ、PC-8801を使いこなすにはやっぱりV2モードは必須でしょ!ということになり(謎)、三日三晩考え四日目に購入(笑)。確かに、この機種はいい機種だった。PC-98を購入するまで、いや、購入してからもしばらく現役バリバリで活躍した。周りにもPC-88派が多く、情報交換も活発に出来たのでかなり勉強になった。
その後…PC-88MAを購入するに当たり、大学の後輩に譲渡。
HitBit HB-F1XDJ(MSX2+)
メーカーSONY
想い出MSX2+アーキテクチャのパソコンが発表されてしばらくたち、価格下落も落ち着いた頃購入。なんと、奇しくも昭和最後の日の前日に購入したため、時代の移り変わりをアーキテクチャの移り変わりと一体化させて感じた記憶がある。FM音源に加えリズム音源を搭載していたので、かなりの曲を作曲した。また日本語BASICも搭載されていて、PC-88FRと機能に大差がなかったため、両機種間での移植もかなり行った。
その後…2年ほど使用した後、MSXturboRを購入するに当たり大学の友達に安価で売却。
PC-9801 UV2
メーカーNEC
想い出大学も4年になり、自分には、今後16ビット機が必用なのではないか、と考えて思い切って購入したマシン。とはいえ、Sofmapで中古での購入なので98にしては安く入手した(さらに、例によって親に少し補助してもらった)。実は、このマシンは3台目。なんと前の2台は不良品で、3日連続で秋葉原に通った挙句、ようやくこのマシンで落ち着いた、と言う想い出がある。その後5インチFDドライブ、サウンドカード、アナログビデオカードを増備し、16ビットアーキテクチャ、およびMS-DOSについてかなりかなり勉強をした。
その後…PC-9801EX2を購入するに当たり、中古パソコン屋に下取り交換に出した。
PC-9801 EX2
メーカーNEC
想い出社会人になって始めて購入したマシン。98では親の仕事(書類作成)の手伝いをすることも多くなってきていて、処理能力を向上するという名目で父親と折半で購入した。
その後…PC-9801DA2を購入するに当たり、中古パソコン屋に下取り交換に出した。
FX-870P(ポケコン)
メーカーCASIO
想い出会社でC言語を勉強することになり、手軽にコードを確かめることができるこのポケコンを購入。ただ、時代遅れの8ビット機だったので遅かった。
その後…FX-890Pの購入にあたり、会社の後輩に譲渡。
PC-88 MA2
メーカーNEC
想い出このころ、メインマシンは完全に98に移行していたが、サブマシンとして88はまだ現役だった。ただし、機能差が目立つようになり、ちょっとでも近づけるためにこのマシンを購入した。FRから見れば10世代近い後継機種。ほとんど初代98並みの能力を持っていたことにかなり驚いた記憶がある。また、FM音源もサウンドカード2という名称になっていて、PCM音源が使えたのには大変ビックリした。ただし、我が家におけるPCM搭載機はタッチの差でMSX TurboRのほうが早い導入であった。
その後…リアパネルを改造中、ショートして電源が使い物にならなくなり、泣く泣く廃棄。半年ほどブランクをあけた後、88資産を捨てるのはもったいない、と言うことで中古の88MCを購入(現存)。
PC-9801ns
メーカーNEC
想い出PC98のサブマシンとして中古品を購入。モノクロ画面、補助記憶装置はFDのみという構成ながら、パソコン通信のログ管理などに結構役立てた。
その後…結婚時、社長秘書☆が嫁入り道具としてHDD内蔵の同系品を持参したため、こちらは廃棄処分に。
PC-9801 EX2
メーカーNEC
想い出我が家のPC98歴で2回目のバージョンアップ。Windows3.1を満足に動作させるための買い替え。思えば、これが我が家で最後の「純正98仕様」マシンなんだなぁ…(以降は98「21」仕様)。
その後…PC-9821Xe10を購入するに当たり、中古パソコン屋に下取り交換に出した。
FLORA 500 ND1
メーカー日立製作所
想い出充実した新婚ライフのために(笑)購入。まぁ、自分自身への結婚祝い、ともいうような理屈だったことを覚えている。 我が家で初のDOS/Vマシン。しかもWindows95が動作する本格カラーノート。しかもしかも、日立グループ社員の特権、社販での購入。一時、我が家でもっとも高スペックなマシンとしてプログラミングなどにも活躍した。 このマシンのために買った拡張機器類(サウンドカード、PS/2ポート用Y型ケーブルなど)は、今でも使っている。
その後…会社の先輩に安価で売却。今でも息子さんのおもちゃとして活躍しているそうだ。
PC-9821 Xe10 / Xe
メーカーNEC
想い出Windows95の発売が迫り、そろそろマルチメディアが本格的に動くマシンが欲しいなぁと考え、FLORAに対するメインマシンとして98をバージョンアップする目的で購入した。この年(95年)のクリスマス商戦に乗って購入。Windows95発売前だったのでWindows3.1搭載マシンであったが、Windows95発売と共にバージョンアップされる特典がついていた。 このマシンは、FLORAと共に我が家で初めてLANを搭載するマシンとなり、マシン名として初代「SAYA」が与えられた(FLORAは「CHAMI」)。
下の欄にも書いたが、その後このマシンは部分的に故障し、ちょうど後輩が廃棄処分としたPCがほぼ同系の「Xe」であったためそれを譲り受け、大復活を遂げた。
その後…(Xe10)マザーボード回りがいかれてしまい動かなくなって困っていたところ、会社の後輩がちょうどXeを廃棄処分にするという話を聞き、部品をもらって復活した。ただし筐体はXeの筐体になった。
(Xe)9821V12を義父から譲り受けるまで活躍し、その後部品取りのため1年ほど予備機として保管。その後BIDDERSオークションに出品し、買い取ってもらった。
FM/V(DeskPower 5166DPT)
メーカー富士通
想い出忘れもしない、門さんが生まれて一ヵ月後に秋葉原のツクモで購入したマシンだ。たまたま通りかかったこの店で、叩き売り同然で売られていて、一日考えた後買うことを決心したマシンだ。 ちょうどホームページの立ち上げから一年近くたっており、OSをWindowsNTにするなど、WEB周りの環境を整えたかったところだったのだ。後で知ったのだがこの機種、FM/Vの中でも異端児扱い(他の機種と部品が微妙に違う)だったようで、あまり売れなかったマシンらしい。 ただ我が家では初のPentiumマシンとなるので、異端児だろうが鬼っ子だろうが、久々にワクワクする気持ちで扱い始めた記憶がある。
PC-9821Xe(初代SAYA)に変わってメインマシンの座につき、マシン名も受け継いだ(2代目SAYA)。我が家のメインマシンは名前を受け継ぐ、という慣習はこのとき始まった。まぁ、そんな意味でいろいろと初物尽くしが多いマシンだった。
その後…3代目「SAYA」(ANSoft SAYA-III)を購入時にセカンドマシンに格下げされたが、リムーバブルカセット(HDDをカセットに入れて取り替えられる部品)を取り付け、メインOSを動かすほかにWindows98、Windows2000のベータ版などの試験機として活躍した。その後21世紀に入って、「SACHI」を購入した際、引退を決定。捨てるのはもったいないのでヤフオクに出したところ高い値をつけてもらい、第二のマシン人生をLinuxマシンとして千葉県で過ごしている。
FLORA prius 210s
メーカー日立製作所
想い出サブマシとして使用していたFLORAは、2年も使っているとさすがに時代遅れの感が強まってきた。そこで買い替えを決定。例によって日立グループ社員の特権、社販で購入。 ジャストB5ノートサイズで、通勤バッグに入れることが出来たため、毎日会社を家とを往復する「通勤のお供」として重宝した。ただ、筐体がもろく、何度もひび割れたり欠けたりしてしまった。 一度、筐体を新品に交換してもらったのだが(結構高かった)、そのわずか一週間後に落下事故で欠けさせてしまう、と言う悲しい出来事もあった。
その後…不思議なことに、後継機種としてFLORA ND2を購入したその日に動かなくなってしまった。それまでも結構ほうほうのていで動いていたのだが、後輩が来たのを見届けて安心したのだろうか…。
Persona HPW-200JC
メーカー日立製作所
想い出我が家で初のWindowsCE機として購入。それまでFLORAを「通勤のお供」として使っていたが、こちらのほうがより相応しいので交代。 モデム内蔵なのでインターネットやメールもできたのだが、その目的ではあまり使用しなかった。むしろ、内蔵されていたOUTLOOK(Outlook Expressじゃないよ)をWindowsマシンとリンクしてスケジュール管理をしたり、住所録として使用したり、PIMとしての使い方がメインとなり、通勤、出張、その他の外出にはなくてはならないマシンとなった。この使い方は、現在使用しているPocket-PCまで受け継がれている(ただしPHSを購入してからはインターネット端末としても活用している)。
その後…HPW-600JCに買い換える際、会社の後輩に譲渡した。
ANSoft-PC SAYA-III
メーカー半自作
想い出我が家で初のBTOによる半自作機。Pentium-IIの266MHz。マシンの特性を活かし、CPUを333MHzに交換したり、 いろいろな拡張機器をとっかえひっかえつけたり、マシン改造についていろいろ勉強をさせてもらった。 2年ほどメインマシンとして活躍、その後子供部屋に移りサブマシンとして家族中で利用した。
その後…2003年夏に突然マザーボードがいかれ、動かなくなった。マザボ周りのみのマシンをBTOにて新調、中身をごっそりそのマシンに移し変え、もぬけの殻になったところで勇退。その殻(筐体)は、BIDDERSオークションで引き取り手が現れ、もらわれていった。
Persona HPW-600JC
メーカー日立製作所
想い出2代目CE機として、導入。VGAの画面と、洗練されたCE3はかなりビジネスユースに役立った。PHSとの相性もよかった。
その後…2002年春にPocketGearを導入するに当たり、引退。予備機として1年ほど置いておいたが、まったく使わないのでオークションに出品。かなりいい値段(1万5千円)で買い取ってもらえた。
FLORA ND2
メーカー日立製作所
想い出FLORA prius210sに続くノートPCとしてヤフオクで購入。ノートPCだが、大きくて外に持ち歩けるシロモノではなく、初めから家庭内モバイル(?)として使用することが決まっていた。 部屋の移動を伴う各種作業のお供として利用した。
その後…各部屋にPCが設置され、PCを持ち歩くこと自体あまり意味がなくなったので不要になった。2003年秋に大学院生のイトコが有効活用してくれることがわかり、譲渡。第3の人生を幸せに暮らしている。
Pocket Gear MC/PG5000
メーカーNEC
導入時期2002年3月
想い出PDAは従来B5ノート型のCE機を使用していたが、持ち運びに多少不便を感じ、乗り換え。乗り換えの半年くらい前からPocket-PC2002の発売と共に乗換えようと決めていた。 購入後半年にして誤って洗濯機でまわしてしまい(笑)、すぐに2代目を購入。そちらは大事に2年ほど便利に使用した。
その後…2004年の秋。巨大な台風が東京を通過した際、部屋が異常に多湿になり、回路が結露して動かなくなってしまった。そのため、iPAQにあとを譲り廃棄処分となった。
ANSoft SAYA-04
メーカー半自作
想い出1998年3月に導入したPentium IIマシン「SAYA-III」が5年半働いたところで突然ダウン。マザーボードの故障とわかり、いい機会なのでマザー周りを総交換した結果できたマシン。CPUはCeleron1.3G。パーツは殆ど流用だが、筐体、CPUが変わるとさすがに別マシンとせざるを得ないと考え、名称も「SAYA-04」とした。
その後…2006年2月に突然マザーボードがいかれ、動かなくなった。なんか、「SAYA」って名の付くマシンはマザボに障害がおきやすいのかな…。というわけで、5代目のSAYAは普通の(中古)デスクトップをあつらえた。HDDや、いくつかの部品はリサイクルした。
ANSoft SACHI(初代)
メーカーINTER-PC提供のBTOパソコン。つまり"半"自作。
想い出20世紀の間、我が家のメインマシンとして働いてきた「SAYA-III」はPentiumIIマシンであったことから、パワーアップのための資材調達が困難になった。そこで来るべきWindows XPの快適動作をにらんで2001年2月に導入したのがこの「Sachi」。 Pentium4もすでに発売されていたが、CPUスピードはさほど必要でなかったため安価なPenIII機を導入。そのかわり、一気にいろいろな補助装置をBTOで付け足した。
当初のWindows2000から、予定通りXPを経て、途中さまざまな改造が加えられ、最終的にはなんとWindows7 Ultimateが動くマシンとして10年近く、不動のメインマシンとして働いてくれた。
その後…2010年4月。Windows7が動くとは言え、メインマシンとして活躍を続けるにはさすがに荷が重かったため、安価になってきた64ビットマシンと交代。ただ、XP機としてはそこそこのパフォーマンスを発揮するため、妻の実家にあったPentiumIIマシンを置き換えて余生をすごすことになった。
FLORA 310/DL5
メーカー日立製作所
想い出先代FLORA(2001年1月導入)の置き換え用として、BIDDERSオークションにて購入。95年夏に初代FLORAを購入以来4代目のFLORAだが、3代目まではすべてノートだったのに対し、このマシンはいわゆる「一体型」(居間に据え置くことが決定していたため)。我が家の「ノートPCの歴史」はこのマシンであっさりピリオドが打たれた(ただし2年後に「INAHO」で復活)。
当初、このマシンは「居間」に置かれたが、処理速度の問題で「石油部屋」と呼ばれる部屋にあった「SAYA」と2007年に交換。その後、2009年子供部屋改装に伴い、新しい子供部屋へ移動し、「検索専用パソコン」となった。
その後…このマシンは導入以来「Chami」を名乗っていたが、2009年12月に「新Chami」が導入されたことを受け、名前を譲り引退。HDDを換装して生まれ変わったLet's note(「Ai」)に子供部屋パソコンの座を譲り、廃機処分となった。
Let's Note R2 (CF-R2RC9BXS)
メーカーPanasonic
想い出外出時のいわゆる「モバイルPC」は、PERSONA以来10年近くWindows CEベースのポケットPCを使用してきたが、昨今のインフラ事情を考えノートパソコンへ戻した。 マシン名は直前までPocketPCがつけていた「Ai」を襲名した。なお、Panasonicのマシンを購入するのはMSX turboR以来、約20年ぶりだった。
2009年11月にはANSoftで初のWindows7マシンとなり重宝されたが、翌月の12月、突然HDDが異常を起こし、まったく起動できなくなってしまったので、Floraノート(新Chami)に「サブマシン」としての座をわたし、一旦引退。ダメモトで試験的にHDDを40GBのジャンク品(といっても日立製)に換装してみたところ、うまく動作したので「奇跡の復活」をとげ、元Chami(Flora310)に代わって2代目子供部屋マシンに登用された。
その後…Intel Celeron600A(Celeron Mの超低電圧版)を搭載した、なかなかの良機で重宝したが、2012年3月、経年劣化で電源部分から火を噴き(笑)、子供たちの安全を考え廃機処分とした。マシン名のAIは、SAYAのリニューアル(門さんパソコン化)と同時に、NAS(Network Attached Storage)の共有名に譲られた。またその際、換装済みのHDDを共有領域としたため、事実上ネットワーク上から見える「AI」は元のHDDそのものとなっている。
FLORA 270/SX
メーカー日立製作所
想い出妻の「要塞」用PCとして導入された初のPC。2005年8月にオークションで購入され、我が家では5代目となるFLORA、かつノートPCとしては先代FLOR Anote以来2年ぶりの復活。初代「INAHO」として4年間使われたが、妻が仕事で使うようになってからはあまりの低スペックが支障をきたすことが多くなり、2009年に2代目(FM/V)にマシン名ごと座を明け渡した。
その後…その後新たにLinux(買ったは良いが放っておいたもの)が勉強用にインストールされて、マシン名も新たに「YUKAGON」として再活躍したが、2012年5月に廃機。Linuxと「YUKAGON」という名前は、FLORA350(元のSAYA)に移された。
FMV-C8210
メーカー富士通
想い出2005年に導入された初代INAHO(FLORA)を置き換えるために、2009年にヤマダ電機で中古購入。我が家では約10年ぶり(初代SAYA以来)のFM-V。3年間、Windows7マシンとして働いてくれた。
その後…スペックが低すぎて仕事にならなくなってきたため、3代目に役を譲り、2012年8月廃機。
FLORA 210/NL5
メーカー日立製作所
想い出ANSoft初の本格的「無線LAN対応モバイルPC」であるLet's note(AI)が2009年12月に前触れもなく故障したため、急遽導入されたサブマシン。Let's noteはWindowsCE機から譲り受けた「AI」を名乗っていたが、ANSoftが1995年に始めて導入したノートパソコン(やはりFLORAノート)が「Chami」であり、それ以降FLORAノートは歴代「Chami」を名乗ることが多かった(Inahoだけ例外)ため、このマシンは「Chami」を名乗り、はじめからWindows7がインストールされた。
ちなみに、このマシンはLet's noteと同じ店で購入したのだが、値段はLet's noteより5000円安かったのに性能はほぼ倍であった。
その後…2013年11月、役割と名称をSurfaceに譲り、引退。HDDはSachiのファイル履歴用に再利用された。
LesanceNB P2332
メーカーUNITCOM(ツートップオリジナル)
想い出6代目SAYA。2012年春。門さんに「高校に進学したら専用のPCを誂えてあげるよ」と約束していたものが実現したもの。SACHI2010と同様、Faithのグループ、UNITCOMのパソコンを選んだところは、さすが門さん。それまでPen4マシンを使用していたこともあり、門さんはパフォーマンスの拡大な進化に驚きつつ、うまく使いこなした。
その後…このマシンのおかげでメキメキとプログラミング能力が高まった門さん。本格的なARアプリなどを作るようになると、このマシンの非力さが目立つようになり、2016年12月、7代目にその座を譲った。なお内臓HDDは7代目にセカンダリHDDとして引き継がれた。
LesanceNB P3536-SP/C
メーカーUNITCOM(ツートップオリジナル)
想い出3代目INAHO。ずっと「中古」しか与えられず(笑)、仕事に苦労していた妻用に新調されたノートPC。2代目SACHI、6代目SAYA同様、UNITCOMのオリジナルブランドであるレサンセのノート版。OSは出荷時「HOME Premium」であったものを、ANYTIME UPGRADE機能で即日Proにアップグレード。我が家で初のワイド液晶マシンとなった。
その後…多少もたつきが目立つようになり、2017年2月にマシン交換のため廃機。このマシンのHDDは新マシンの増設HDDとして再利用された。
iPAQ h2210(PDA)
メーカーヒューレットパッカード
想い出2代目Pocket PC。故障により廃棄処分となったPocket Gearに変わって急遽導入された(Amazonで購入)。OSはPocketPC2002から2003にかわり、CPU速度もほぼ倍になったので、同じソフトウエア構成ながら隔世の感がある。3年間ほど、会社と我が家を行き来するPDAとして活躍したが、業務情報漏えい防止のため、会社への持参をやめ、妻の電子手帳(ミュージックプレイヤーつき)として譲渡された。その際、マシン名「AI」をLets'Noteに受け継いだ。
その後…妻もスマホを持ち歩くようになり、ひっそりと廃機。
ioPad 6(Androidタブレット)
メーカーIOSYS
想い出秋葉原の専門店IOSYS製(といっても、中身はmade in China)のAndroid2.3.4タブレット。2012年2月導入、表示周りはVGA。アンタブ用ソフトのテストや、そこそこ「遊べる」持ち歩きタブレットとして使用してきたが、2013年にはスマホの性能の方が上回り、門さんに払い下げられた。
その後…さすが中華製。2年ほどで動かなくなり、廃機。このころ、すでに門さんもスマホを使い始めていたので問題はなかった。
FLORA 350/DE1
メーカー日立製作所
想い出5代目「SAYA」。しばらくは、「石油部屋PC」として使われたが、2007年ごろ、居間の「門さんPC」に昇格した。その後、2012年3月まで、門さんの「開発機」として、門さんの成長を支えてきたが、門さんの高校入学に伴い、新マシンへ「SAYA」の名をバトンタッチ。「廃機処分」寸前となったが、XPにダウングレードして「おもちゃ」として奇跡の復活をすることとなった。その際、旧「YUKAGON(FLORAノート)」に入れられていたLinuxもインストールし、マシン名も新たに再活躍することになった。その後、WindowsXPのサポート切れに伴いネットから切り離され、再び門さん専用のLinuxマシンとなった。非常に数奇な運命をたどったマシンである。
その後…現存はするが、多分動かない。ほぼ廃機状態。
eMachines EL1600-E1
メーカーeMachines
想い出居間のおもちゃマシンとして、2015年夏まで置かれていた日立FLORA(マシン名YUKAGON、ただしオフライン)に代わり、妻の実家で亡父が利用していた当PCを譲り受け、OSをXP HOMEからなんとWindows10Proに入れ替え、Insider Preview機としてしばらく使用(マシン名も引き継ぎYUKAGON)。その後、旧2代目SACHIと交代することになり、門さんのLinux(ubuntu)専用機として生まれ変わった。
その後…ubuntuがWindows10で動くようになったので、廃機。
ANSoft SACHI 2-010
メーカー秋葉原のFaithにBTOを依頼した"半"自作PC。
想い出2代目SACHI、その後3代目YUKAGON。2001年以来、10年近く働いてくれたメインマシン、初代「Sachi」のOSは、Windows2000からはじまり最終的にWindows7までバージョンアップしたが、さすがに時代に合わなくなってきた。ちょうどネットワークインフラも1GB回線化された折であったので、2010年、一挙に64ビットマシン化されたこのマシンに世代交代した。
しかし、6年も使用しているとやはり「旧型」の感は否めなくなり、2016年にメインマシンを3代目SACHIに引き渡したうえで、居間に引っ越し。3代目YUKAGONとして「強力な予備機」となった。なおその際、マシンのモデル名はSACHI2-010のままにしたので、キャラクタ名的にはややこしいことになっていた(笑)
またこのマシンには特別に、オリジナルパソコンであるという証のプレートが初めて取り付けられた。
その後…マザーボードにガタが来たことから、使用開始10年目にあたる令和元年(2019年)、Surface4に「YUKAGON」の名前を譲り、HDDを取り外したうえで廃機。
G-GEAR mini GI7J-C81/T (SAYA7)
メーカーツクモ(オリジナル)
想い出門さんの「成人記念」で2016年12月に誂えたPC(7代目SAYA)。門さんは2012年3月に「高校進学記念」で誂えたPCで本格的なARや3Dアプリを作成するに至っており、そのPCでは非力となっていたため、安価だがグラフィックが強力なマシンを秋葉原を練り歩いて(笑)探し当てた。
その後…就職するまで使っていたが、初任給で新PCを誂えたことにより廃機。今の門さんを作り上げたといっても過言ではない機種であった。
Surface Pro2
メーカーMicrosoft
想い出初代機が発売される前から、ず~っと欲しかった、Microsoftの純正タブレット。「Windows8のサービスパックが搭載されたSurfaceが発売されたら、絶対買うぞ! 」と決めて待つこと1年半。Windows8.1搭載、キーボード(タイプカバー)も操作性もかなり良くなったバージョンが揃ったところで念願の購入。セカンドマシンとしては申し分ない性能であり、当初マシン名は由緒ある五代目「Chami」を襲名していたが、2015年11月、「ちゃんと勉強に使ってくれる(笑)」結芽子に譲渡し、休眠状態となっていた2階のマシンから名前を移転。
その後…こちらも就職するまで使っていたが、初任給でゲーミングパソコンを誂えたことにより廃機。
Surface Pro4
メーカーMicrosoft
想い出2015年11月、Surface Pro2購入後2年たったところで、結芽子が使う機会が多くなり、思い切って譲渡。かわりに最新機種である Pro4を、ちょうど日本語版コルタナがリリースされた日に購入した。Pro2時代よりストレージ容量は半減したが、クラウド(One Drive)利用でほとんど賄えるので問題はなかった。マシン名はPro2から「Chami」を引き継ぎ、六代目となった。
その後…内蔵ディスプレイが故障し、またタイプキーボードが認識しないというSurfaceとしては致命的な(笑)減少に陥り、やむなく外付けキーボード、マウス、そしてディスプレイを接続し、まるでボックスPCのような形として再利用することとなり、いわゆる仏壇下パソコンとして4代目YUKAGONとなった。しかし2023年になり、いよいよ電源が故障し、廃機となった。8年もの間、よく頑張ってくれた。

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